木版画(摺り)
我が国の木版画芸術の歴史は、浮世絵と共に歩んできたと言っても過言ではない。江戸時代中期に、芸能や遊郭を主題にした庶民芸術として成立した浮世絵では、美人画や相撲画、役者画などが大量に生産されたが、それが可能だったのは、表現手段として、版画という技法を用いたからにほかならない。
木版画の製作においては、絵師、彫師、摺師の三者分業が普通であった。その絵師であり、江戸時代前期に活躍した菱川師宣が「浮世絵版画の祖」とされる。技法としては、初期の頃は墨一色の「墨摺絵」であった。やがて、これに丹(朱色)黄・緑などを筆で官単位彩色した「丹絵」が現れる。丹の色が粗悪だったためか、その後、紅を主として筆彩色した「紅絵」となり、さらに、墨に膠(にかわ)を混ぜて黒漆色に見せる「漆絵」を経て、ついには、紅を主に他色を「摺り重ね」た「紅摺絵」が生み出される。明和期(1765年頃)になると、絵師・鈴木春信、彫師・岡本松魚(しょうぎょ)・遠藤五緑、摺師・小川八調(はっちょう)・湯本幸枝(こうし)などの名工により、複雑な多色摺版画、いわゆる錦絵が創始され、浮世絵版画の黄金期を迎えることとなった。その後、鳥居派の清長や、喜多川歌麿、東洲斎写楽などが現れて、数々の名作を遺したが、葛飾北斎、安藤広重の風景版画を経て次第に衰退していった。

摺りに用いる道具は、ノミ(写真・左奥2本)、ばれん(右奥)、大小の刷毛(手前5本)などである。仕事の工程としては、まず、和紙(奉書紙)3枚ずつくらいに水を刷毛で含ませておき、床を使って並べ、湿り加減を同じにしておく。摺りは、まず主版(黒版)から始める。すべての基本となる作業であるため、最も神経を使う。次に顔料を水で溶き、膠(にかわ)で色止めをして絵具を作り、これによって色版を摺る。薄い色から、そして見当(絵柄がずれないように版木の隅に彫ってある、紙を合わせるしるし。また、その合わせ方)のむずかしい細やかな所から順に摺って行く。和紙や版木は、湿り加減によって伸縮するため、常に面倒を見てやらねばならず、正確な摺りを行うためには重要な作業である。近年では、見当が工夫されて、多色摺が容易に出来るようになった。